キャンドルナイトライブ

JSR CAMBODIA ⑨ – 番外編 ゴールデントライアングル –

2017年6月8〜9日、カンボジアの帰りに最後はリフレッシュ、
タイ北部の町チェンライへ行ってきました。

13世紀、タイ北部で隆盛を誇った
ラーンナー・タイ王国の都チェンライ。

そこからさらに車で1時間走った山奥で少しだけ休日を過ごしてきました。
身も心もリセットして帰国。

とても短い滞在でしたが、昔から一度は訪れてみたいと思っていた
タイ・チェンライ〜 そして国境を接するミャンマー、ラオス。
” ゴールデントライアングル ”へも足を伸ばしてきました。

・・・ここからはカンボジアの活動ではありませんが、
チェンライの町の様子、”日帰り”で三カ国行けてしまう、
ミャンマー、ラオスの町の様子など、、
その感動を忘れないように書き記しておきたいと思いますー

タイ最北部の国境の町メーサーイ

 

6月8日(木)am9:00ー
タイ・チェンライから車で一時間、タイ最北部の国境の町メーサーイへ。

さすがタイ最北部の町。
市場へ行くと様々な山岳民族の雑貨の宝庫。

現在、タイ北部には20種族を越えるという山岳民族の村が点在し、
市場を覗けばあちこちに美しい織物や刺繍、アクセサリー、骨董品など置かれている。

これまでに行ったバンコクやタイ南部では見かけた事のない、
少数民族の雑貨が売られていてとても新鮮。

メーサーイからタイ国境を越える

メーサーイの町、
ミャンマーに向かって延びるパホンヨーティン通りがこの町の中心。

その突き当たりにはミャンマーへの出入国審査所、
税関が入った巨大な国境ゲートが姿を現す。

どこの地方にもある小さなビル群の中に突如現れる巨大なゲート。
…なにかすごい威圧感(汗)

強烈なスコールで1時間ほど立ち往生したが、
国境ゲートで手続きを済ませ、ミャンマー側でパスポートを預けると、

国境ゲートの裏には一本の橋が架かっている。
この
たった20mの橋を渡ると、、そこはもう別世界ー

憧れの国ミャンマーの町タチレクだ。

人生初の陸路国境越えー
この橋を渡ると「左側通行の国」タイから「右側通行の国」ミャンマーとなるため、
橋の中心で皆右側へ移り出す・・・なんか面白い!

…20代の頃、「ミャンマーひとり旅」を計画したことがあった。
その際、観光ビザ取得のあまりの面倒臭さに断念したことがあった。

ビザ記入欄に他の国ではあまり見られない、
「身長」「髪の色」「肌の色」「眼の色」
を記入することもさることながら、

当時(今はわからないが)は職業によってビザ代が違っていた。
中でも職業欄が「ジャーナリスト」、さらには「僧侶」が一番ビザ代が高く、
一般のビザ代の倍以上かかり、尚且つ「僧侶」であれば、

『一切の宗教活動は行いません。』
という誓約書まで提出しなければいけない。

そんなミャンマーも軍事政権から民主化へ移行し、
まだまだ制限された都市にしか行けないものの、
この国境の町タチレクは、ビザなしでも一時入国が可能。

入国ゲートでパスポートを預け、
入国料を支払えば、半径5km以内の行動が可能となる。

ミャンマー入国、タチレクへ

いざ、ミャンマーへ!



橋を渡ってすぐのお寺から、
もうすでにタイ様式の寺院と全く異なってくる(!)

ミャンマー国境の町、タチレク。

タイ語とも、クメール語とも違う、ミャンマーの文字。
なんかコロコロしていてカワイイ。

まずはミャンマーのお寺へー
Tachileik Shwedagon Pagoda

タナカを顔に塗った女の子もまたミャンマーらしい光景。
タナカ (Thanaka) は、人の名前ではなくミャンマーで使用されている天然の化粧品。
原料のタナカの木が「タナカ」といわれる由来とのこと。
皆化粧としてだけでなく日焼け止めとしても使っているのだそう。

お寺の隅にファンキーなお坊さんの銅像。

少し足を伸ばしてー

首長族。

首長族とは通称で正式には、「パダウン族」。
現在ミャンマーのシャン州・カヤー州、
そしてタイのチェンマイ・メーホンソン・チェンラーイに暮らす山岳少数民族。
ミャンマーとタイを合算した総人口は30,000人とも40,000人とも言われるそう。

首長族といっても、首が長いのは女性だけであり、
首に真鍮のリングを纏い、そのリングの重さで肩が下がることにより首が長く見えている。
つまり、体の骨格や構造は私たちとなんら変わりが無い。

元々は「満月の水曜日」に産まれた女の子にだけ施されていたそうで、
その日に誕生した子がなぜか虎に襲われてしまうことが多かったため、
狙われやすい首を守るために金属を巻いたといわれる。

それがいつしか全ての女性に施されるようになった。

少数民族にとって、民族の純潔を守ることは大きな課題。
首に目立つリングをつけることで他民族と恋に落ちることや、
村から出て行くことを防ぐ(純潔を守る)目的で
全ての女性が首にリングをつけるようになったそうだ。

現代では首のリングを強制されることはないというが、
部族に伝わる風習として当然のようにリングを首に巻くのだそう。

彼女達は身体の成長に合わせ、真鍮リングの数を増やしていく。
首長族では、このリングの数、つまり”首の長さ”が美しさの指標になっているという。

おばあちゃんの首の長さもさることながら、
着ている服の色彩感覚が絶妙(!)

そして、アカ族の皆さんと。


赤色を基調とした刺繍やパッチワークが施された上着が印象的なアカ族。
「ウチュ」と呼ばれる銀のアクセサリーを施した被り物が印象的。
もともとは中国南部に住んでいた一派が、ラオスやミャンマーへ、
そして次第にタイに南下したと言われている。

アカ族は年長者や家族の絆、祖先を大切にし、
アカ族の男性は五十世代前まで血筋を遡った先祖の名前を暗唱することができると言うー

わずか半径5km以内という行動制限がかかる中でも
縦横無尽にミャンマーの町、タチレクを堪能させてもらった。

いつかタチレクのその先へ・・・憧れのパガン遺跡群、、
いつかじっくり訪れてみたい国、、と、思いを強くしたプチ訪問だった。

橋を渡っただけで、仏教の寺院様式、人種、言語、文化、人の服装、、
全てがガラリと変わる、国境越えの不思議さを体感した。

船を渡ってラオスへー

 

タイ・メーサイからミャンマー・タチレイを半日歩いた後、
車で30分、ゴールデントライアングルへ。

タイ、ミャンマー、ラオスと3カ国の国境が接するゴールデン・トライアングル。

3カ国の国境線がメコン川で区切られており、
このポイントから3カ国の国境線と領土が一度に見渡せる珍しい場所。


手前はタイ・サイド。中洲はミャンマー、奥がラオス。

かつてここは90年代半ばまで悪名高き麻薬の密造地帯。
現在でも一部ミャンマー側でケシの栽培が行われているそうだが、
タイ側では麻薬撲滅政策や換金農作物奨励により
闇は消え、現在フォーシーズンズやアナンタラなど、
1泊10万円(汗)もするような高級ホテルが進出中。

しかし、ここへ向かう道にはいくつかの検問所があり、
日本人グループと見るやタイ警察は笑顔でスルー。
中国人グループとなると荷物検査が行われ、
ミャンマーから流れたケシやアヘンなど、
密輸していないか厳重にチェックをおこなっているそうだ。

…とはいっても、のどかな田園と新緑が美しい小さな町。

そんなゴールデントライアングルの先から、
タイ側の船着場にパスポートを預け、船でラオスに渡る。

中国人富裕層の旅行団は屋根付きの屋形船。
・・・しかし我々は屋根もない、ボロくてほっそいスピードボート。(汗)

…四十を越えても僕らはチープ。(苦笑)

しかしこのスピードボート、侮るなかれ。
小さなボートにTOYOTA製自動車エンジンが搭載されており、
最高時速80キロ(!!)

そのスピードに一同悶絶(!!!)

川を渡るというより飛んでいく。
ライフジャケットを着せられただけでシートベルトなし。
波によってボートが飛ぶと同時に尻も飛ぶ。
・・・言葉にならない声で全員絶叫。

キャプテン、ドヤ顔。

この爽快感・・・自由!って素晴らしい、、

優雅に進む中国人富裕層の船をぶっちぎりで追い抜いてラオス入国。

・・・数年前、ルアンパバーンへ行って以来のラオス。
相変わらずのどかで何もない、、。
この何もない感がまさにラオス!!!

『サバイディ!(こんにちは)』と
ラオスの言葉で挨拶すると、合掌ポーズで返される。

ちなみにラオスの言葉で”ありがとう”は、『コプチャイ』。
・・・なんて愛らしい響き。

渡船上から5分ほど歩くと、お土産物屋が集まる集落へ、

ラオスといえばBeer lao。
アジアのビールで一番大好きなラオスのビール。
戦利品として2本、お土産に購入。

ハブ酒ならぬ「コブラ・サソリ酒」。
・・・なんか強力そう。
さすがに日本に持って帰れるかわからなかったため断念。(苦笑)

ラオスサイドは本当に何もない、
小さなみやげ物屋が並ぶだけの村だったが、、

タイ、ミャンマー、ラオスと、
異なる色を見せる3カ国を一日巡れたのは、本当に貴重な経験だった。

身も心もリフレッシュして、、

さぁ、日本へ帰ってまた明日から頑張ろう。

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