全員が揃ったところで向かう先は『トゥール・スレン虐殺博物館』ー
ユネスコ記憶遺産にも指定される、世界史に残る負の遺産。
カンボジア史を振り返る上で欠かせない場所だ。
ここはポルポト時代、高校の校舎を改造し『S21』という名で呼ばれた悪名高き刑務所(収容所)。
尋問室。
拷問時の鉄製ベッドと足枷、汚物入れ。
76~79年の3年間にこの場所で2万人が“反革命分子”とみなされ収容。
人々は家族共々捕らえられ、ここで激しい拷問を加えられた後、
“キリングフィールド”をいう処刑所へ連行され、殺されていった―
『飯がマズい』、『あの頃はよかった…』等、ほんの少し愚痴が漏れた人々…
知識人も“反革命分子”として、殺害の対象だった。
医者、学校の先生、伝統工芸師、伝統芸能・文化を継承する人々、そして「僧侶」も殺害の対象だった。
僧侶に至っては、当時65,000人いた僧侶の62,000人が殺害された。
当時インドの言語「パーリ語」を話せる僧侶は65,000人中3,000人いたが、
殺害された後、パーリ語を話せる僧侶はわずか5人となっていた。
およそ200万とも300万人とも言われる人々が尊い命を奪われた。
たった3年間で国民の3分の1が殺害されるという、、世界史上、稀にみる惨劇。
当時2万人もの人々がこの場所に収監され、無事生還できた人、わずか7名。
訪れる人々が、怒りを込めて蹴っていくために鉄柵がしてある。
しかしその鉄柵はこれまでの“衝撃”に耐えきれず、外れていた。
教室に急造された粗末な牢獄。教室内は蒸し暑く、閉鎖された空間。
床には当時の薄い血痕があちこちに残っている。
校舎2Fの木製牢獄。
当時収容された人々の計り知れない恐怖…想像を絶する世界。
何度訪れても異様な圧迫感…息苦しささえ感じる。
牢獄棟の校舎には、すべて有刺鉄線が張り巡らせてある。
脱走防止の為ではなく、気が狂って自殺する人を阻止するためー
壮絶極まりない世界で、自死すら許されない、、
収監された人々は一体どんな精神状態だったのだろう、、。
みんなは呆然。
初めて訪れる人には、計り知れないショック与える場所。
当時収監され生きて帰ってこれた人の証言を元に絵が展示されている。
水浴びの様子。
劣悪な環境下においても、水は唯一の恵みだったに違いない。
強烈な汚水の中に沈める拷問。
決して殺しはしない、精神的にジワジワと追い詰める拷問ばかり。
何度訪れても胸が締め付けられる、、。
日頃何気に使っている『平和』という言葉、、この言葉の重みを改めて考えさせられる場所です。