キャンドルナイトライブ

CNL in CAMBODIA’13 ⑪ – アンコールワットへ –

2013年8月24日(土)PM 8:00 –

プノンペンから飛行機で40分。
アンコールワットがある町、シェムリアップへやって来た。

当初は、プノンペンでやることを終えたら、そのまま日本に帰る予定だった。
しかし、初めてカンボジアへ来たメンバーが大半なのに、

『カンボジアへは行ってもアンコールワットへは行ったことない 』

では話にならないと、強行日程ながら一日にだけの滞在。

翌朝からトゥクトゥクに乗っての遺跡巡り。
目に埃が入らないよう、カンボジアへ行った記念に全員で安サングラスを購入。

4年ぶりのシェムリアップ。
この街の成長度は凄まじい。ホテルは毎年建設ラッシュ。

『一年も経てばこの街は変わっている。』
とよく言われているが、4年の歳月を経てこの街にやって来ると、その成長度確かにすごい。。。

4年前にはなかったお店や建物が沢山。
全体的な街の灯りも4年前の2倍は煌々としている気がする。

そんな中、PUB STREETの中心部にある【RED PIANO】へ。二階から見下ろす街の眺めがとても良い。これぞアジア。

ここは映画『僕たちは世界を変えることができない』の
撮影中、俳優 向井理が何度となく通ったといわれるBARレストラン。

さっきみんなで買った安メガネでカンパイ。

今日は、朝8:30のスタジアムでのサッカーから
愛センター・ワークショップ、そしてシェムリアップへ・・・ 本当に長い一日だった。

みんなで夜遅くまで、この国の事、キャンドルナイトの事、
今後の活動の可能性など…熱く語り合った。

・・・本当に素晴らしく、そして頼もしい仲間達。

2013年8月25日(日)AM 4:30起床ー

みんなで早起きし、早朝、アンコールワットの朝日を見に行った。

何度見ても、その威風堂々とした姿は圧倒的…

これまでの11年間の歩み、 そして今回の旅のここに行き着くまでの出来事…

数々の思い出が走馬燈の様に浮かんでは消える…

言葉には表せない、込み上げてくるものがあった。

みんな寝不足ながらも、今回の旅で成し遂げた充実感に満ち溢れていた。

『旅は、旅人を日常から非日常へと誘う。
そこには新しい挑戦や発見と共に、
日常よりは起伏の激しい感情の流れがある。
開放感、浮遊感、新しいものを受け入れる喜びという静かな流れ、
そして突然やってくる恐怖、疲労感、孤独、
虚無感、不安、挫折といった激しい流れ。
旅のチャレンジは、いかにそんな波を
一つ一つ前向きに乗り切っていくかということだ。』

ロバート・ハリス『ワイルドサイドを歩け』より

学生時代に出会ったロバート・ハリスの一文。

・・・初めての一人旅から16年もの月日が経つが、今回の旅で、あらためてこの一文を噛み締めた。

今回の旅は本当に喜怒哀楽のジェットコースター。

・・・でも、単に観光ツアーとは違う、これぞ旅の醍醐味。

朝日が登り切った後、観光ツアーのお客さんは、朝食をとるため、皆ホテルに戻る
・・・実はそこからが穴場の時間帯。

(以下、写真家SHINJI ISOBEが撮った写真)


AM 7:30 – 9:30迄の時間帯は、
世界中から押し寄せる観光客が唯一寺院内から消える時間。

そこにはゆったりとした、
本来のアンコールワットを堪能できる贅沢な時間帯。

ここから先2時間は、各々で過ごすことに。

慌ただしさから開放され、身も心も完全リセット。

宿に戻り、朝食を食べた後、チェックアウトのPM 0:00まで各々自由時間。

久々にオールドマーケットへ行ってみた。

暑い国で冷蔵庫もなく、そのまま売られている川魚やカエルたちの「生」の匂い、、

何度来ても強烈インパクト。

皮を全部剥がされたカエルたち…

宿をチェックアウト後、遺跡巡り開始。

まずは『戦争博物館』へ。
カンボジア内戦時に使用された旧ソ連製や中国製の戦車、
カラシニコフや手榴弾まで無造作に展示。


かつて使われていた戦車。


口径を真正面から見る、。 底知れぬ恐ろしさを感じた。

続いて、アンコールワット遺跡群から郊外へ。

のどかな田園風景。ここは・・・

村の子ども達が溜め池で遊んでいた。


向かうは、戦時カメラマン 一ノ瀬泰造終焉の地へ。

・・・ここでもまた、突然天気が崩れだし…
強烈な雨がまたしても・・・一同全速力で一本道をひた走る。

またも必死で到着(汗)。

強烈なスコール。

『一ノ瀬泰造のお墓』と書いてあるが、実際に遺骨はなく、

ここは戦時カメラマン「一ノ瀬泰造」がポルポトに捕まり、わずか26歳で処刑された終焉の地。

資料によれば、一ノ瀬泰造は1973年11月22日か23日、アンコールワット潜入後すぐにクメール・ルージュに捕まる。
そしてプラダック(この村)に連行された。
夜は足に鎖を繋がれたが、昼間は自由に村人の撮影をしたりしてたらしい。

その後、命よりも大切なカメラを取り上げられ、反抗的な態度を咎められ、11月28日に処刑された。

遺体の埋められた場所は、村人の多くが覚えていて、両親はそこを堀りかえし、遺骨を収集した。

泥にまみれた遺骨を近くの川で洗い、荼毘に付した。遺骨の一部はアンコールワットを仰ぐ木の下に、

残りはのちに日本に持ちかえられ、現在は故郷 佐賀県武雄に納められているー

・・・彼がいのちを引き換えにしてでも撮りたかったアンコールワット、彼に今のカンボジアはどう映るのだろう、、。

さっきまで水遊びをしていた子ども達。

雨もおさまりだし、さぁ、帰ろうかとした頃、突然みんなが『ア”ーーッ!!!!』という大声。

 

振り返ると、写真を撮っていたSが水牛に襲われた!!!

 

仔牛付近で写真を撮っていたS、その動向を気にしていた雌牛。
子どもに危害を加えられるかと思ったのか雌牛、Sに突進…跳ねられた。
・・・二度の突撃を喰らうも、幸い大事には至らず、、

あぁ,,,本当に良かった….。

・・・そんなアクシデントや大雨もあったが、何かとか無事に雨も止み、一本道を引き返す。

緑が美しく生い茂る一本道・・・処刑される前、

一ノ瀬泰造は何を思いながらこの道を歩いたんだろう、、。

雨で濡れた泥道を歩いている最中、S下氏のTevaのサンダルが、ついに悲鳴をあげた。

これまでの過酷な旅に音を上げたのか、ソールがパックリと割れた。

その後、ガジュマルの木に浸食された寺院、タ・プロームへ。

ここは自然の力を明らかにするため、
樹木の撤去や本格的な石の積み直しなど修復の手を下さないまま据え置かれている。

ガジュマルの木に完全に覆われてしまった寺院ー

自然の驚異を身に染みて感じる場所。


光の射す方へー

・・・絵になる男。

『勝利の門』をくぐり、

最後にバイヨン寺院へー

アンコール遺跡群の中でも複雑な構造で、より神秘的な雰囲気を持つバイヨン寺院。

 

四面仏の微笑み、観音菩薩の塔。

この微笑みを目に焼き付けて・・・さぁ、日本に帰る準備ですー

PM 6:00 –
バイヨン寺院から直接シェムリアップの市街地へ。最後は、この街へ来ると必ず訪れるレストラン【TEMPLE CLUB】へ。


みんなで最後の祝杯!
これにて全ての行程を終え、解散!

・・・この後、An氏はベトナム経由で日本へと帰っていった。
写真家SHINJIは、翌日までシェムリアップに残り、上海を経由して日本に戻る。
そして僕等は今夜23:00の便で、ソウルを経由して日本に戻るー

『楽しむということが前提で、それをいいことにつなげる』

この言葉を体現できた旅だった。

このメンバーで行けたことが本当に奇跡。
・・・でも、仏教に偶然はなく、それは必然。行くべくして行った仲間達だった。

本当に素晴らしい、夢の旅だった。

『勝ち負けだけの挑戦じゃない、人生を豊かにする挑戦を!』
鈴木康之(コピーライター)

さぁ、日本に帰ったら、いよいよキャンドルナイトの準備が待っている。

みんなで次なる挑戦へ取りかかりたい。

 

 

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