2015年8月22日 PM2:00ー
渡船場から舟で渡り、サムボー村をさらに車で走ること10分、
法衣を着て、「三帰依文」と「重誓偈」のおつとめ。
各地域の自治会長、小学校の校長先生や長老方など、村の主要な方々が集まっていた。
イムラム圏で街中に響くアザーンのように、お経の声が村中に響き渡る。
そして遥々やってきた日本人の生の声を聞かせたい。』
・・・そんなチョムナンさんの計らいだった。
前回同様、村の人々の声を直接聞かせてもらう。
始めに:
『今回私たちは、日本のお坊さんメンバーではなく、
日本でイベントを通して、皆さんを応援している仲間達と共にやって来ました。
今、皆さんにとって必要なものや、現状、課題などを聞かせて下さい。』
今まで皆さんにはたくさんの井戸を作っていただきました。井戸は現在18基目が完成しました。
ですが、この村にはまだ井戸が足りないのが現状です。
ある地域ではもう少し井戸を作っていただきたいという希望もあります。
・・・あと、3基くらい、、井戸が欲しいと思っています。』
『一番嬉しいのは、各家庭に一基ずつ井戸ができることですね(笑)。
でも、そのようなことが無理なことはわかっています(苦笑)。
もし可能であれば、あと井戸が4つくらいあれば、みんなで使えるから嬉しいです。
それ以外の問題は大丈夫です。』
以前は井戸1基につき20〜30世帯の村人が使用していましたが、
現在は井戸が増えたこともあり、井戸1基につき20世帯が使用しています。
でもやはり、もう少し井戸があると嬉しいです。それ以外は大丈夫です。』
・・・村の人々はみな口々に『今必要なものは水。それ以外は問題無い。』という、、
日本から来た我々にしてみれば、他にも電気やトイレ(各家庭にまだトイレが普及していない)等、
様々なことがたくさんあると思うのだが、、村の人たちは「問題ない」という。
やはりそれだけ「水」というものが、生きていく上でどれだけ重要なことなのか、、
日頃「あって当然」の私たちに、水がどれだけ生きていくために必要なことかを痛感させられた。
『私達は小さなグループで活動を行っている以上、大きなことはできませんが、
できるだけ村の人たちのニーズや、私たちにできることであれば協力したいと考えています。
先程、皆さんのお話を伺って、井戸をもう少し増やして欲しいということでしたが、
今日再び、日本の皆さんから寄付金をお預かりしてきたので、
そのお金で井戸をあと4基増やすことは可能だと思います。』
『私はサムボー村の小学校の校長です。2ヶ月前に日本のお坊さん方が来られた時、
私の学校で今困っていることをお話ししました。今、学校でノートや鉛筆が不足しています。
もし、今回が無理でしたら次回でも構いませんが、、その問題はいかがでしたでしょうか?』
日本の学校教材を取り扱う仕事をしています。・・・今から彼にバトンタッチします。』
はじめサムボー村の全生徒が400人と聞いて、400人全員分は
持ってくることができませんでしたが、今回鉛筆とノートを200セット、
準備してきました。また、今回の私達の活動に賛同して下さったMIKASAさんからも
サッカーボールとバレーボールを預かってきましたので、それも一緒にお渡しします。』
・・・小学生時代からの親友。
彼の仕事がこの活動をこんな形で強力にサポートしてくれることになるなんて、、
本当に感慨深いものがあります、、。
それを聞いた校長先生、
『本当にありがとうございます。校長として、学生の子供達よりも私は嬉しいです。
私が(ノートや鉛筆を揃えることを)叶えることができなくても、
皆さん達が私たちの望みを叶えてくれて、すごく心が嬉しい、、。
子ども達はスポーツが大好きですので、ボールまでいただけて、、とても喜ぶと思います、、』
『今回、この仲間達と2年ぶりにこのサムボー村へやって来ました。
私自身は6月と8月にこの村に来ましたが、次回は来年6月に再び来る予定です、、』
…そう言うと、長老方は笑いながら口を揃えて、
『そんなことを言わず、いつでもこの村に来て下さい!』(笑)
『・・・日本人はいつも本当に色んなことで応援してくれます。
サムボー村から車ですぐのところにある「つばさ橋」(タイ・カンボジア・ベトナムを一本で結ぶ巨大な吊橋)は、日本が作ってくれました。この橋によってカンボジアはとても助かっています。』と。
・・・日本政府が支援した「つばさ橋」と一緒にされるのは何とも恐れ多いけれど(汗)
とても有り難い言葉だった。
『私たちはこれからもできる限り応援し続けたいと考えています。
ただ、どうしても私たちは「今後一生支援をし続ける」という形はできないと思います。
私たちが将来この村に来れなくなることがあるかもしれません。
そのことも、皆さんには考えておいていただく必要があると思います。
たとえば、私たちは来年も、再来年も、この村に来たいと考えています。
でも、それ以降は、私の取り巻く環境が変わったり、日本でのお仕事の都合で、
カンボジアへ行くことが難しくなることもあると思います。
その時、もし井戸が故障したり不具合が起きた時には、皆さんでお金を出し合って
修理費をプールして、皆さんの手によって少しでも長く使い続けて欲しいと思います。
当分は私たちが責任を持って井戸をサポートさせてもらいます。
でも、来たる将来のために、今から少しずつでも井戸を使用する人たちで
コミュニティを形成し、井戸が故障した時にはみんなで修理費を捻出する、、
そんな基盤づくりを今から行う必要があると思います。』
・・・これは村の人達に、今回必ず言っておかなければならないことだと思っていた。
『この井戸を通して大切に使用すること、
物の大切さを是非次の子ども達の世代にも伝えて欲しいと思いますー』
・・・ものづくりに携わる、坂下くんらしい言葉だった。
村の人々は、
『みなさんの意見はとても良いですね。次の世代へ残す、遺産のような言葉です。
本当に感謝しています。帰国されるときはどうぞお元気で、健康に気をつけて。』
・・・短い時間ながら、とても有意義は交流だった。