2013年2月3日(日)PM7:00 –
サムボー村から宿に帰ってきて着替えを済ませた後、夕食をとるために街に繰り出す。
王宮周辺の道路は完全封鎖で歩行者天国となっていた。
王宮周辺エリアでは、銃を持った軍や警察で溢れ、物々しい厳戒態勢。
その王宮と国立博物館を挟んだ道に差し掛かると、突然、煌びやかにライトアップされた見慣れない建物が出現。
シアヌーク前国王のご遺体が安置された宮殿ー
…なんと、王様が亡くなられてすぐに建設された全く新しい宮殿。
広い公園があった場所だったのに…突如現れた巨大な宮殿。
この宮殿は、火葬(国葬)の儀を執り行う為だけに建設され、明日の式が終わると取り壊されるという、、。
・・・突貫工事とは思えない完成度と圧倒的スケール、、、
アンコールワットをつくったクメール人はやっぱりスゴい。。。
国葬前夜とあって、王様と別れを惜しむ国民で溢れ返っていた。
ポルポト内戦時代、かつて外国人特派員クラブだった場所。
当時の情報の最前線基地。…今ではBAR&レストランに姿を変える。
店内には激動のカンボジアを伝える報道写真や、カンボジアから世界各地へ配信された記事が飾られるー
当時を偲ばせる貴重な場所。
今でも海外ジャーナリストなどの利用が多いという。
レストランのバルコニーからは、王様の棺が眠る宮殿…
…ポルポト時代から、ずっとこの国の行く末を見守ってきたこの場所で、
明日カンボジアにとっては歴史的な一日となる前夜にここで食事をするー …感慨深い思いになる。
とにもかくにも、またこうして、みんなとこの場所に帰ってこれたことに乾杯。
食事を終えた後、みんなは宿舎へ戻ったが、ひとり王宮へ向かった。
国民にとって王様はどんな存在だったんだろう、、。
その場の空気を胸に刻みたいと思った。
カンボジアの友人たちと話をしても、みんな王様のことが心から大好きで、
まるで自分の両親や身内がなくなったような・・・そんな口調で皆口々に王様の思い出を語る、、。
田舎からきた老婦人は王様が亡くなってから
今日まで100日間、ずっと王宮前の路上に座り込んだという。
お金を持っていない老婦人たちは、雨の日も風の日も王宮前でただただ座り込み、
シャワーの代わりにメコン川で水浴びをした。
そんな姿に心打たれた人たちの差し入れで空腹を満たし、雨の日にはテントの差し入れも。
…本当に100日間も座り込んだ人々。
日本でこんなことが考えられるだろうかー
…異国人には想像もつかないほどの深い悲しみ。
…国によっては、一国の主が国民によって糾弾され、追い出され、処刑され・・・
銅像に首輪をかけて引きづり倒されることだってある、、。
そんな国もある中で、この国の人たちは皆王様を心から敬愛し、
涙を浮かべて、まるで身内が亡くなったかのように深い悲しみに包まれている。
そんな心優しいカンボジア人がますます好きになった。
カンボジア人にとって歴史的一日を迎える前夜、とても考えさせられるプノンペンの夜だったー