カンボジアへ行き始めてもう12年目になりますー
CNLの活動の中ではあまり触れていませんが、
この13年間で、一僧侶として、”JSR”として、9年間 仏教交流を続けています。
日本で行っているのは「CNL」の活動が中心ですが、
毎年一緒に現地へ行っているのは、JSR [ Jodo Shinsyu Rensyo-kai略]という、
私が京都のご本山内にある「勤式指導所」という場所で学んだ同期の会が中心です。
現地では、学校支援や井戸建設プロジェクトなど、
法友であるJSRの仲間からも賛同を頂き、さらにはお寺の先輩や様々な方々も
”同志”として加わって、一緒に活動を続けています。
CNL本番を目前に控え、ここで少しカンボジアの歴史、
内戦時のカンボジアの仏教について触れてみたいと思います。
カンボジアは1975年〜79年までの4年間、
世界でも類を見ない20世紀最大ともいわれる大虐殺がありました。
ポルポト政権が行った急進的な共産主義政策によって、
殺害された犠牲者は200万とも300万人ともいわれています。
これは実に人口の3分の1にも相当するといわれています。
当時のポルポト政権は、「農耕民族の原点に立ち返ろう」という思想の元に、
邪魔になる知識人たちを迫害の対象としました。
政治家、学者、教師、医者、伝統工芸師、伝統文化を継承する人たち…「僧侶」も対象でした。
特に「仏教」は徹底的な弾圧を受け、カンボジア国内の3600の仏教寺院はすべて破壊されました。
当時カンボジア国内におられた65,000人の僧侶のうち
「62,000人」もの僧侶が尊い命を奪われたといいます。
当時の65,000人僧侶の内、
インドの教典の言葉「パーリ語」を話す僧侶は約3000人いたといわれますが、
弾圧後には、パーリ語を話せる僧侶はわずか「5人」となっていました。
国民の95%が敬虔な仏教徒の国であるカンボジア。
当時受けた精神的な抑圧とダメージは計り知れません。
異常下にあった当時、
ポルポト兵がお坊さんの大事な「お袈裟」を“ 敷物 ” にして昼食を食べていたといいます。
・・・敬虔な仏教徒の国、信仰心の篤いカンボジア人からは想像もつきません、、。
人は極限の状況に追い込まれれば、善き人もたちまち鬼になってしまう、、。
そんなカンボジアの「負の歴史」が、私の生まれた年「1976年」だったのです。
当時、私達世代がこの世にいのちをいただき、
沢山の人に「おめでとう!」と祝福されていた頃、
カンボジアでは、生きるか死ぬかの極限状況での生活を強いられていたのです。
・・・たまたま私は日本人としていのちをいただき、
物質的にも恵まれた日本で生活を送らせてもらっています。
自分自身が生まれた年と、
カンボジアの一番厳しい時代が同時期だったということー
・・・言葉では言い表せない縁を感じ、
そんな思いが、今も自分がカンボジアへ足を運ぶ理由となっています。
そんなカンボジアへ行き始めて早12年。
まさか、こんなにも深い絆でカンボジア僧と交流するとは思いもしませんでした。
…きっかけは2006年、我々の支援先の学校「インターナショナル・カンボジアNGOスクール」に
日本語を学んでいたお坊さん方との交流から始まりました。
通訳を介し、
お互いの習慣や考え方を尊重し合い「私たちができる形で交流をしよう!」と、初めに行ったのが、
我々宗門内で「特別法務員」という資格をいただいている事から、
得意分野を活かして浄土真宗本願寺派の「声明と雅楽」の演奏会を行いました。
その後は、王立仏教大学にて宗教省大臣C・イェム氏列席のもとに300名の現地僧侶との仏教交流。
「お経」と「音楽」は言葉の壁を越え、
” 同じお釈迦さまの仏弟子としてー ”というスタンスのもとに互いに読経を行ったり、、
カンボジアでは、法要儀式の際に音楽を奏でるのは、僧侶とは別の一般の演奏者。
「僧侶自らが楽器を奏で、法要儀式を勤めるスタイルは珍しい、、」と、
…この声明と雅楽の演奏会がきっかけとなって、
ここからカンボジア僧との距離がグッと縮まっていきました。
王立仏教大学を訪問。
宗教省大臣C・イエム氏との交流が始まったのものこの年でした。
その後、何度となく宗教省を訪問させていただき、交流を深めていきました。
カンボジアでは1979年、ポルポト政権が終息し、新しく出家した僧侶は7名。
(その7名のひとりが現在のモハニカイ宗僧王テップボーン師)
その7名から再出発したカンボジア仏教は、
2008年に出家僧「55000人」と、内戦以前の数に戻ってきました。
寺院数も、破壊されるは3600ヶ寺のお寺がありましたが、
現在は国内に4370ケ寺以上、新たに建立されています。
かつての数字に戻りつつあるカンボジア仏教ですが、
現在は、社会が豊かになってきた背景もあり、出家する数は減少傾向にあるようです。
理由の一つとして、昔は貧しく学校へ通えなくても、出家することで教育の機会が与えられました。
そして貧しい家庭で育ってきた方にとっては、
自らが出家することにより家族の生活負担を軽減させるため、
あるいは自身も衣食住が保証されることから出家するという事もありました。
しかし、現在は学校の数も増え、出家をしなくても学ぶ機会が増えたということ、
また生活も徐々に豊かになり、出家を志す若者が少なくなったことが、
減少要因の一つと言われています。(現地僧侶談)
※ 上記写真は、広島 天台宗 太光寺さまにて留学されていた僧侶方と仏教交流。
ちなみに、カンボジア仏教界は二大宗派があり、
貴族寄りの仏教『トムヨット宗』(僧侶数1300人[2008年])>>>黄土色の袈裟[写真左]
民衆寄りの仏教『モハニカイ宗』(僧侶数55,000人)。>>>鮮やかなサフラン色の袈裟[写真右]
そんな二大宗派のあるカンボジアですが、
たまたま我々が親しくなったお坊さん方はその両宗派の先生方でした。
そんなご縁でどちらの僧院にも足を運ばせていただき、
上座部仏教の僧侶の一日の生活について、
またそれぞれの宗派の特徴や、お経の読み方の違い、
カンボジアのお坊さんの悩み…等々、交流を通して様々なことを学びました。
私たちがカンボジアへ行く際は、早朝3:30起床(苦笑)。
僧院を訪れて、お互いに朝のおつとめをそれぞれのスタイルで。
私たちは「正信偈」という普段のおつとめ。時には通訳を介してご法話を頂く事もありました。
ある時はカンボジアの盆行事にも参加。
…オセロゲームなら詰められてどうしようもない写真。(苦笑)
食前の読経では「ナモタッサ バガバート アラハート サンマサンブッダサ」と、
私たち僧侶もよく知っている「敬礼文」という文を唱えておられ、妙に親しみを覚えたものです。
2008年、友人僧侶から
『今から村で百ヶ日のご法事を務めるので一緒にお参りに行きましょう』と突然のお誘い、、
・・・何をどうしていいかわからないまま、壇上に上がらされ(汗)、
村の人々と向き合う形で突然お参りさせていただいたこともありました。
・・・「仏教交流」を初めた当初、
我々のような、髪の毛があり、肉食妻帯の浄土真宗僧侶を、
上座部仏教のお坊さんは同じ僧侶として受け入れられるのだろうか、、
そんな不安をずっと抱いていましたが、
彼らは、国によって容姿や袈裟・衣の違い、
教義の解釈等の違いはあるけれど、” お互いの良いところを学び合いましょう”と、
いつもそんなスタンスで、我々をあたたかく迎えてくれます。
中でもチョムナン氏との出会いは本当に大きく、
僧侶として、人間として、とても尊敬する親友です。
日本に留学されていた頃は、私のお寺にも何度か来られ、
JSRの仲間 鹿児島の藤園智信くんは、後に自分の結婚式に彼をカンボジアから日本へ招きました。
2012年、2013年には、法友チョムナン氏の計らいにより
カンボジア仏教界の最高指導者で、国王、首相と並ぶ「僧王」ボンキリ師に謁見。
ボンキリ僧王にお会いして、まず開口一番に仰られた言葉が今でも忘れられません。
『 同じ仏教でも、国の歴史や文化によって、スタイルや袈裟・衣の違いはあります。
でも、私たちの交流は、外見的なものは決して問題ではなく、大切なのは「心」です。』と。
『これからも、同じ” 仏弟子 ”として、こういった交流を是非続けていきましょう。
来年もお待ちしています。』と仰られたお言葉に、とても感激したのを思い出されます。
2013年2月、「カンボジアの父」といわれたシアヌーク前国王の「国葬」においては、
我々も一緒にお参りさせていただくご縁をいただきました。
開式二時間前、カンボジア全国民が見守る「国葬」の導師を務められたボンキリ僧王からは、
各国首相や王族関係者など、国賓に与えられるVIP 喪章をなぜか戴き、、、
悲しみに暮れるカンボジア国民と共に、一緒にお参りさせてもらいました。
縁もゆかりもなかった国、カンボジアー
内戦が終わり、戦後復興真っ直中のカンボジアの人々、
苦難の歴史から脱却すべく、一歩一歩あゆまれているカンボジア上座部仏教の僧侶との交流。
カンボジアは今、新たな歴史を歩み始めています。
そんな真っ只中に体験させてもらった数々の経験は、今後とてつもなく大きな財産になると思っています。
そして、カンボジアの僧侶との交流で学んだことは、
小乗、大乗という仏教の違いではなく、
ともに釈尊の教えを仰ぐ仏弟子であり、私たちは同じ仲間であるということ。
そんな気持ちで毎年あたたかく迎えていただく、現地の友人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。
今、我々が行っている「サムボー村 井戸建設プロジェクト」は、
そんな「法友」チョムナン氏の故郷を応援するために立ち上げたプロジェクト。
彼は今年、お坊さんを卒業し、僧王の親類にあたる素敵な女性と結婚をしました。
彼は現在仏教大学で教鞭をふるい、自身は弁護士になる事を目指しています。
きっと将来、カンボジアを背負っていく人だと思います。
そんな彼をこれからも応援していきたいですし、
彼を縁として、これからも現地僧侶との交流は続いていくと思います。
CNLの活動ではあまり触れない「仏教交流」ですが、
我々真宗僧侶としても、
そのような活動を ” できる範囲で ” これからも細々と継続し続けたいと思いますー