2015年6月2日(火)PM0:00ー
インターナショナル・カンボジアNGOスクールでTyDyさん達に別れを告げ、
次に向かう目的地は、サムボー村。
プノンペンからおよそ2時間。
サムボー村(Preaek Sambuor Commune)は、ベトナム国境に近い村。
車で村からさらに35分も走れば、そこはもうベトナムだ。
移動から1時間半が経過した頃、いつもの渡船上に到着した。
メコン川を渡った対岸がサムボー村だ。
’13年にCNLメンバーで行った際は、船に車を乗せる傾斜がきつく、
渡船上のオジサンが無理矢理車を船に乗せようとしたため、ベンツのバンパーを破損(汗)。
・・・あれは本当に焦ったが、・・・今回はそんな問題なく車も一緒にサムボー村へ。
いつも我々一行のお世話をしてくれるナリーさん。
7年前、一緒にシアヌークビルまで旅行に行ったのが懐かしい。 今回の僕らのサムボー村行きに同行取材したいと、カンボジア民放局【SEA TV】カメラマンさん。
中牟田氏からタバコをもらいご満悦(笑)。チョムナンさんもプノンペンから合流。メコン川の気持ちいい風に吹かれて話も弾む。チョムナンさんは、お坊さんを辞めた後結婚もされたが、性格は今も当時のまま。
これまでの十数年の出家生活のキャリアをかわれ、現在は宗教省で仕事をしている。船にのんびり揺られること10分、対岸に到着。
たくさんの買い物袋を持ったおばさん。この船は村人の大事な生活の足。
渡船上から車で走ること10分。今年もサムボー村へやって来た。ますはチョムナンさんのお家へ。
法衣を着て、まずはチョムナン家の仏さまの前でお参りさせてもらう。
チョムナンさんのお宅には、区長さんを始め、村の村長、各村の自治会長、小学校の校長先生など、
サムボー村の主要な方々が全員集合。
村の子ども達も集まってきた。
この日のために、チョムナンさんのお家には大きなスピーカーが外に取り付けられていた。
我々はなぜかマイクを持たされてのお参り、、。
でもそれは、『村中のすべての人々にお経の声を聞いて欲しいー』
・・・そんなチョムナン氏の計らいだった。
ブッダーン サラナーン ガッチャーミ
ダンマーン サラナーン ガッチャーミ
サンガーン サラナーン ガッチャーミ
「三帰依文」のお勤め。
この「三帰依文」はお釈迦さまがいらっしゃった当時から「三帰依」、
すなわち「仏」と「法」と「僧」という三つの宝への帰依が誓われてきた。
われわれ仏教徒にとって三帰依文は、仏教徒であるという証であり、合言葉。
カンボジアの人達にとっても、子どもから大人までみんなが知っている御文。
おつとめ終了後、ヌットさんの通訳をかえして我々一人一人、村の皆さんにご挨拶。
挨拶を終えると、まず学校の校長先生が、
我々の設置した小学校の井戸の現状について話をされた。
『学校に設置してくださった井戸は、時々故障もありますが、
みなさんの援助による修理で以前のようなキレイな水が出て、問題なく使えています。
井戸の設置は子どもも大人もたくさん利用しています。
学校の井戸は村で一番水の出が良く、隣村からも水を汲みに学校へ来ています。
また、学校で大切にしているものは「花(花壇)」です。
その「花」に水を与えることが出来るようになった。本当に嬉しい。
私達は今まで水がなかったら大変困っていました。
特に病気になった時、私達は今までキレイな水を飲むことが出来ませんでした。』とー村の方々の声を、このような形式で直接聞いたのは初めてだったー
そんな会話の中で、『今、村で困っていることはありますか?』と聞くと、
校長先生:『私は井戸以外は大丈夫だと思っています。
ただ、学校においては子ども達の本やノートブック、えんぴつが足りません。
もし支援をしていただけたら嬉しいです。子ども達は410人います。
年齢は4歳から11歳までです。』
・・・カンボジアへ行き始めて12年が経つ。
これまでプノンペンやシェムリアップの様々な学校を訪問したが、
学校の「欲しいものリスト」の一番が、「ノート」と「えんぴつ」というは初めてだった。
初めて訪れた12年前のシェムリアップの学校でさえ、我々が支援するNGO校でさえ、
12年前でも基本的にえんぴつやノートは足りていて、本当に欲しいのはその次のレベル。
計算ドリルや教科書、初級の次の「中級レベル」の日本語教科書だったからだ。
・・・恥ずかしながら今頃になって、地方の現実を知った。
校長先生からの話を受けて、
『今いただいた問題は、日本に持ち帰りたいと思います。
私達はどうしても一年に一度しか来ることができないので、
支援の規模も、私達に出来ることも限られています。
ですが、私達はできる限り皆さんをサポートしたいと考えています。
それから「井戸」についてですが、井戸が故障することは想定通りでした。
「形あるものはいつかは滅びる」とお釈迦様が仰られているように、
井戸もいつかは故障したり、必ず使えなくなる日はやって来ます。
でも大事なのは、その後の修理やメンテナンスなどのサポートです。
私達は今後どれだけ出来るかわからないですが、
出来る限り皆さんのサポートを続けたいと考えています。』
『私はサイ・オンといいます。私の地区には2つの井戸をいただきました。
井戸が今まで無かった時の生活はとても大変でした。ですが、今はすごく生活が楽になりました。
皆さんの気持ちにとても敬意を表したい。嬉しくて何と言っていいのか言葉も見つかりません…』
・・・そんなサイ・オンさんを見てすぐに思い出した。
『私は、アナタの事を覚えています。昨年、サムボー村を訪れた時、
アナタは娘さんの結婚式を翌日に控えていて、新しく出来た井戸の水で
「今日は娘のためにお菓子を作ります」とハリきってていたお父さんですよね?』
・・・一年前、娘さんの結婚式を前日に控えていたお父さん。
家族総出でバナナの葉で巻いたお菓子を作っていた。笑顔がとても印象的だった。
結婚を前日に控えた父娘の写真。
・・・そんな話をするとサイ・オンさん、目に涙をため『本当にありがたい、、。』とひと言。
『私も村落の自治会長をしています。私の地域でも井戸を一ついただきました。
井戸が無かった時の生活は本当に大変でした。
時々井戸が故障することもありますが、その度に修理をして使っています。
私の地域では、村落の30家族で井戸を使用しています。
小さな子ども達も、遠くへ水汲みにいかず、家の前で使えるようになりました。
皆さんが作ってくれた井戸は安全です。井戸によっては危ない井戸もあります。
小さな子ども達が落ち込んでしまう井戸もあるのです。
ですがいただいた井戸はそんな心配はありません。』
区長さん、
『日本とカンボジアの友情の中で感謝しています。
現在井戸は14基目、15基目を建設中ですが、まだ完成はしていません。
なぜなら今はまだ乾期ですから地面を掘っても水が出て来ないこともあります。
ですから今は工事を中断し、雨季に入るのを待っている状況です。
これまでに皆さんにはたくさんの応援をいただきました。
我々の村の一番の問題は水不足です。まだ問題は解消していません。
また私達をぜひサポートしていただけたらありがたいです。』
村の人たちから直接的にこのような声をいただくのは初めてだったー
これまで日本でご支援をいただいた方々に、是非この生の「声」を届けられたら、、。
この模様は、翌日の【SEA TV】国内ニュースで取り上げられた。
このニュースがテレビで放映された時、
残念ながらすでにプノンペンを発っていたので見ることは出来なかった。
お家に取り付けられたスピーカーから大音量でこのやり取りが村中に響き渡った。
村の人たちにもちゃんと知ってもらえるように、透明性を持って、
支援のお金は一滴も無駄にせず使わせてもらいたい、、、
そんなチョムナンさんの気持ちがヒシヒシと伝わってきた。
最後にチョムナンさんが言った、
『井戸の支援は私が僧侶であった頃から行ってもらいました。
私が僧侶であった頃は一つの井戸が200ドル(約16,000円 ※当時1ドル80円)でした。
でもそれは、私が僧侶であったことから村の助成金を使わせてもらい、
それで1基が200ドルという形で建設することが出来ました。
しかし私はもう僧侶ではありません。今は僧侶として助成金を使うことができないので、
1基につき230ドル(約28,158円 ※現在レート)かかってしまいます。
さらには地形や場所によっては、砂や石を多く使い整地しないといけない為、
230ドル以上かかってしまう場合もあるかもしれません
日本の皆さんはもしかしたら、
「なぜ200ドルの井戸が急に230ドル、あるいはそれ以上になるのか?」と思うかもしれません。
でもその理由は私が僧侶を辞め、その特権でもあった助成金を使えないことにあります。
細かな話になりますが、私がこうして全部打ち明けたい理由は、
日本のみなさんから大切なお金をいただいているので、井戸にいくらかかったのか、
なぜそれだけの金額になったのかを全部話して説明したいのです。正直でいたいからです。』とー
本当にチョムナンさんらしい言葉だった。
彼の誠実さと真摯な気持ち、、、
十数年の出家生活をやめられた今も何一つ変わっていない。
最後に、我々で村の人たちにこう伝えたー
『 私達は皆さんを「応援したい」という気持ちでここへ来させもらってます。
ですから、私達はボランティアではありません。
『 ボランティア 』ではなく『 応援 』です。ヘルプではなく、サポートです。
これからもチョムナンさんを応援したい、
サムボー村の人たちを応援したい、
カンボジアの友人達を応援したい、
・・・そんな気持ちです。』と。
今回のサムボー村は、本当に意義深い訪問となった。
現地の人たちの声を直接聞けたこと、
村人との対話によって、距離感がグッと近づいたように感じたー
(後半につづく−)